Shibuya Slow Stream vol.19 躍動体

Shibuya Slow Stream vol.19 躍動体

vol.19 躍動体

 
良い都市とは、どのようなものか。
Shibuya Slow Streamは、その問いに応え続けていくための取り組みでもあります。「生き生きと活動すること」という意味を持つ「躍動」という言葉は、まさに目指すべき都市像を表しているように思います。
 
躍動しているときには名前が要らない。もう少し踏み込むと、そのようにも言えるはずです。例えば、公園で出会った子どもたちの游び始めに自己紹介が要らないときのように。新たな遊びが生まれるときのように。塩川寿平の「名のない遊び」では、「乳幼児がしあわせであるかどうかは『名のない遊び』が保証がされているかどうかにかかっているといっても過言ではありません」とされていましたが、乳幼児のみならず、大人の、そして都市のしあわせのためにも、「名のない遊び」が欠かせないように感じます。
 
なんだかわからないけど、心が生き生きとする。というか、むしろ、なんだかわからないからこそ、そうなる。名前と追いかけっこをするような躍動体。Shibuya Slow Streamには、そのための音楽も、遊びも、学びもあります。大人も子どもも、大歓迎。是非、足をお運び下さい。
 

目次

開催概要
ふりかえりトーク
 
 

開催概要

 

6階(ホール)

 
ermhoi with the Attention Please Instagram|@ermhoi
 
HHMM feat.田井中圭
 
NakamuraEmi
Instagram|@nou.emi
 
Vasola Punte〔あだち麗三郎÷高橋佳輝÷髙野なつみ〕with 山村佑理
 
テニスコーツ
 
新メンバー(Takao+荒井優作)
instagram|@yusaku.arai
 
FATHER
Instagram|@father_info
 
オオルタイチ
 
Kaoru Inoue (Euphony)
Instagram|@kaoruinoue_music
 
shunhor (Euphony)
Instagram|@shunhor_
 
Atsuko Satori (Euphony/ PALM BABYS)
Instagram|@atsukosatori
 
世界のクラフトビールと清涼ソフトドリンク
Drinkuppers
Instagram|@drinkuppers
 
zine kiosk
都市はわたしたちのダンスフロア
Instagram|@kune.co
 

5階(食堂)

分類不可の多国籍で無国籍な料理店
世界食堂
Instagram|@sekaishokudo
 
ジビエと季節の食材を使ったお惣菜
Prank gibier style
Instagram|@prank_gibierstyle
 
クラフトコーラ
Pink田中/spacey kola
Instagram|@spacey_kola_lh
 
畳とテントのお休み処
RPGとGLOW
 

4階(広場)

その場にいる人とつくる即興人形劇
工藤夏海「まちがい劇場」
Instagram|@natsuponko
 
渋谷の風景を結晶にする「自分の、石をつくる」ワークショップ
眞弓優子「MOMENTS MONUMENT〜MY GARDEN YOUR GARDEN〜」
Instagram|@yukomayumi_
 
新世代アナログゲーム店
角田テルノ・橋詰大地「わなげボーボー」
Instagram|@wanage_bowbow
 
ぎゅっとできるともだちみたいな遊具がある公園
boy,boy,boy,?「playful park.」
Instagram|@bobobo_dayo
 
自家製記録造本の店
satokai「メモリーブック商店」
Instagram|@seto0521
 
へにゃへにゃな生き物の塗り絵コーナー付きエナジードリンクスタンド
YUMEGIWA「愛情回復センター」
 
考えつづける場所と本
Daily Practice Books「本の川」
 

[公開雑談会]

聞き手:熊井晃史(SSSディレクター)
9/21(土)11:30〜12:45
渋谷川のビオトープづくりの意味と意義
Spiral Club「渋谷川のほとりのコモンとアニミズム」
Instagram|@spiral_club
 
SSSをきっかけに、渋谷川のほとりで小さなビオトープづくりが進められています(このエリアでヘビを発見したり、ビオトープではトンボの赤ちゃんであるヤゴを宿したりもしてきました)。小さな試みではありますが、着実に、確実に、この場所に働きかけをした手応えを感じつつあります。そして、それは風景や生態系のささやかな変化のみならず、私たち自身の変化をももたらしてくれています。文化人類学者の岩田慶治は「草木虫魚の人類学」において、「知が、いきものをがんじがらめにするためのしかけになっているのである。しかけとは無縁の知、われわれに自由をもたらすような知はないものだろうか」と問いていました。まさに、そのような「知」を目指しているような気もします(ちなみに、「草木虫魚」を彼はアニミズムと置き換えています)。当日は、これらの活動を振り返りつつ、そのなかで見出すことができる意味や意義をとらえていきたいと思います。
 
9/21(土)17:00〜18:00
なぜ渋谷川でヌシに捧げる儀式をやろうとしているのか
YUMEGIWA「いい夢を見るためのSET&SETTINGと想像上の居場所づくり」
 
インディーズのエナジードリンクを開発普及しているアートコレクティブYUMEGIWAは、「領域やジャンルを超えて先端的な活動、研究を行っているアーティスト、クリエイター、研究者、編集者たちと協働しながら、渋谷川周辺の街に生息する生き物(植物、微生物)を調査・収集・分析し、独自にRE-MIXしたエナジードリンクの研究開発を行います。そして、完成したエナジードリンクを川のヌシ(神様)に捧げることで、コンクリートに封じ込められた川の周縁の自然環境のメンテナンスを行い、川辺を行き交うヴァイブスの活性化を目指します」と言います。なんだか飛び抜けたことを言っているようで、少し立ち止まって考えてみると、疲れた人間に(本当の意味での)エナジードリンクが必要であるように、疲れた川や街にも、エナジーが必要な気もしてきて、妙にしっくりくるものもあります。YUMEGIWAの中里龍造さんについては、「わかりづらさが、積極的な意味や意義を帯びるとき」という見出しから始まる記事もSSSインタビューとして公開していますので、ぜひこちらもあわせてご覧頂きたいのですが、当日は、つまりそういうような話にもなっていく気がしますし、つまりそれが「躍動体」であるような気もします。
 
9/22(日)11:30〜12:45
音楽体験と都市文化を考える
都市はわたしたちのダンスフロア「Emma Warren『Document Your Culture』翻訳記念トーク」
Instagram|@kune.co
 
SSSをきっかけの一つとして、ナイトライフを通した都市介入『都市はわたしたちのダンスフロア』というプロジェクトを進めている阿久根聡子さん。阿久根さんの翻訳により、ロンドン在住のジャーナリスト・Emma Warrenさんの著書『Document Your Culture』の初の日本語訳が完成しました。本書では、一人ひとりが大切にしている「場」についてそれぞれの立場から物語をアーカイブしていくことの重要性が語られており、イギリスをはじめとしてさまざまな場で活躍する実践者たちに創作意欲を与えています。著者のEmma Warrenさんが大切にしているのは、音楽を中心にして試行錯誤や体験やコミュニティが生まれる場であり、この点が阿久根さんの問題意識ともつながるのだそう。例えば、阿久根さんは好きな一節のひとつとして、「私達は自分の恋人や自分の家族に対して愛してるよ好きだよって話す言語は持ってるけど、自分の好きな場所に対してそう話す言語はなぜか持ってない」というものを挙げています。この一つを取り上げるだけでも、これからの都市文化や音楽文化を考える上での、多くの示唆や勇気を与えてくれます。この夏にEmmaさんを訪ねてロンドンを巡ってきた阿久根さんに、『都市はわたしたちのダンスフロア』と『Document Your Culture』の重なるところをお聞きしていきたいと思います。なお、阿久根さんの活動については、SSSインタビューとして記事にしていますので、ぜひこちらもあわせてご覧ください。
 

ふりかえりトーク

イベントを実施して、おしまい。それは、「ビルを作っておしまい」の街づくりとどこか似てきます。SSSは、そうであってはなりません。企画や準備に心を費やして迎えつつ、その成果をどうやって積み重ねていけるか!?というところが大事なはず。というわけで、心に留めておいたり、次に活かしていくための、手応えや感触って何だったの!?それを一同でふりかえっていく時間も大切にしています。ここでは、その一部を当日の様子とともにご紹介します。
 
 
言葉にできないものを大切にするために、言葉を尽くす
 
-SSSって、「単なるイベントって言いたくない」っていうこだわりがあるから(vol.16「からだを預けたくなる音楽」レポート内の『スピーカーから音楽を流せば音楽イベントになる、わけではない』を参照)、こんなにたくさん文章を残しているんですかね。
 
それもありますよね。毎回、テーマからつくりあげるプロセスは「雑誌づくり」に似ていると思います、その「雑さ」を大事にしているというところも含めて。結局、言葉にできないものを大切にしたいから、逆に言葉を尽くしていかないといけないっていうことがあるように思うんですよね。
 
-言葉にできない。
 
なんか音楽もそうだし、芸術表現のようなものって、そう簡単に言葉にはおさまらないじゃないですか。
 
-それは、そうですね。
 
そういったものをどうやって大切にしていくべきか?ということが問われていると思うんですよね。それをしっかりやらないと、「最初から説明しやすいもの」しかできなくなっちゃうじゃないですか。
 
-あ、そっか。説明しやすいものであれば、言葉を尽くさないで済みますもんね。
 
 
名前がまだつけられていないこと
 
-今回のテーマである「躍動体」のステートメントでは、「名のない遊び」の大切さが説かれていましたけど、その話ともつながるんですか?
 
そうそう。名前がまだつけられていない遊びが、子どもにとって大切だということを塩川寿平という教育者が主張していて、強く納得するところがあるんですけど、それって、子どもに限らず、大人もそうだし、なんなら都市にとっても大切だよなって。
 
-それがつまり躍動している状態であると。
 
そう。ほかの誰かが名付けた遊びを遊ばされているよりも、自分たちで見出した遊びがあることのほうがよっぽど素敵ですよね。だいたい、スケーボーも、サーフィンも、ヒップホップだって、みんな始まりはそんな感じじゃないですか。だから、そういうところを考えずに都市文化みたいなことは語れないと思うんですよ。都市において「名のない遊び」を大切にするっていうことは、都市を消費の場としてだけで捉えないということでもあると思っているんですね。で、もっと言うと、むしろそれこそが、豊かな意味のある消費を生むとも考えているんですけど。
 
-え?どういうことです?
 
 
理性と知恵は、その外側にあるものを大切にするためにある
 
教育哲学者のジョン・デューイっていう人に、いつも勇気づけられているところがあるんですが、彼が「芸術と経験」という書籍で、「理知や意志の働きは必要である。しかし、その働きは、理知や意志の守備範囲の外側にいる盟友を解放することなのだ」って言ってて、なんか非常に思うところがあるわけです。
 
-はあ。
 
なんか自分でも、なんでまた夜な夜な本をむさぼり読んだり、文章をつらつらと書いているんだろうかって、なるんですけど。
 
-どうしたんですか?急に弱気になって。
 
んー、なんと言うか、弱気というか、モチベーションというものって、無尽蔵にずつと湧いてくるものではないわけですよ。そう思えるし、そう見えちゃうんですけど、実際のところはそうでもなくって。やっぱり、温泉や湧き水だって、湧いているときはもう永遠にそれが続くように思えてきますけど、地下水脈とか森林の保全とかをそれなりにしかっりやっていかないと当然枯れるじゃないですか。人間のモチベーションというか気力も同じようなものなんだと思うんです。
 
-それはそうですね。
 
そうなんですけど、そういう恵みのようなものが、無条件に無尽蔵にいつでももらえるって思っている人がいると、ちょっとイライラします。
 
-やっぱり怒っているじゃないですか。
 
いやでも、蛇口をひねれば自動で出てくるみたいになると、あんまり意味や価値を見出そうという気にはならないですよね。
 
-文化というものが、そういうふうに消費されるだけだったら、豊かなものにならないっていうことですか。
 
まあ、そう。
 
 
言葉を背負う
 
-でも、SSSの会議とか現場では、ニコニコしてますよね。
 
それは、ほんとそう。結構、恵まれている状況にいさせてもらっているのに、一体、なにに怒ってるんでしょうね。
 
-そんなこと、わたしに言われても。
 
スミマセン。そうですよね。ただ、まあ、一旦、「言葉を背負っておく」みたいなことが必要だなとは思うんですよ。
 
-言葉を背負う?
 
たとえば、SSSで言うと、「良い都市とはなにか?」という問いを背負って、それに応え続けるということにしてますよね。つまりそういうことで。
 
-ああ。
 
東京も渋谷も、大規模開発が進められているわけですけど、SSSもまさにその渦中にいるということを認識した方がよいし、そうなってくると、SSSを開催することに大義名分があるとしたら、そういう問いを立てて応えることにつきると思うんですよ。その足場を曖昧にしてはいられないなって。東急株式会社という会社と我々みたいな人間がある意味対等に関係を結びつつ、おみこしのように担ぐべき問いは、それでしょって。なんか、何に誠実であろうとしているのか?どんな責任を果たそうとしているのか?ということが見えてこないと、仕事というものがよくわからなくなってくるんです。だから、そのために、ちゃんと背負うべき言葉を背負いたいし、言葉を大切にしたい。なんかこの話って、そんな複雑でもなく、分かりづらい話でもないと思うんですけどね。
 
-それはそうですよね。「ビジョン・ミッション・バリュー」とか「パーパス経営」なんて言ったりしますしね。
 
そうまとめられちゃうと、どことなく恥ずかしい気持ちになるんですが、つまりそういうことですね。でも、そういったことが世間で喧伝されるのにも関わらず、背負っている言葉が見えてこないことが多いような気がしていて、というか下手したら、背負うつもりもないのかなとも思えちゃうというか。
 
 
都市の変化の原因にもなれないし、その変化の理由に納得もできないとなると
 
で、そうしたときにですね。
 
-え、この話まだ続くんですか。
 
スミマセン。「存在を晒している人とそうではない人との不均衡」ということが、最近どうしても気になってて。
 
-なんかまた難しそうな話ですね。
 
案外そうでもなく、結構イメージしやすい話なはずで、たとえば、それこそミュージシャンって、ステージの上で、その存在を晒しているわけじゃないですか。でも一方で、そのステージを成立させていることの背景には、キュレーターとか音響とか装飾とか告知とか色々と挙げればキリがないですけど、色んな人たちがいて、それはある意味、縁の下の力持ちとして存在している。
 
-はい。わかります。でも、そのどこが問題なんですか?
 
あ、いや、そこに問題があるということでななくって、次に話題を、都市開発に移して話すんですけど、その開発する側が、存在をさらさないで済んで、さらには、背負うべき言葉もないって仮になったとしたら、これほど怖いことはないんじゃないかと。誰が、どういう想いで取り組んでいるのかが、よくわからないままに、でも、目の前の風景がどんどん大きく変わっていくということは、その場所に身も心も預けている人がいるとしたら、やっぱり怖いことだとは思うんです。
 
-なんとなくわかります。
 
自分が都市の変化の原因にもなれないし、その変化の理由に納得もできないとなると、もはや、その都市への気持ちは削がれますよね。
 
 
存在を晒している人とそうではない人との不均衡
 
たとえば、また別の話題で言うと、結構インタビュー取材を受けることがあるんですが、なんかたまに搾乳機で母乳を搾り取られている牛の気持ちになるときがあるんですよ。
 
-なんですか、それ。
 
多分、客観的じゃなければならないっていう想いからなんでしょうけど、インタビュー取材だから質問を投げかけられるわけですが、それに応えても、ほぼ反応なく、どんどん次の質問へと移っていき、その人がなぜその質問をしたいのか?であるとか、その応えを聞いてどう思ったのか?みたいなことがまったくわからないことが、たまにあるんですよ。人間と話をしている気がしないんですよね。そういうのが続いたから、取材依頼を結構断るようになっちゃったんですけど、最近はまた良い出会いに恵まれて、回復してきてます。
 
-ならよかったです。「存在を晒している人とそうではない人との不均衡」っていうのはつまりそういうことですね。
 
そうそう。こちらは気持ちを晒しているのに、相手はずっと匿名的な感じで顔が見えてこない。そういうとき、スゴい変な疲れ方するんですよ。で、ここまでの話を少しまとめちゃうとこうなります。SSSというプロジェクトが背負うべき言葉を明確にしたいし、存在を晒してくれるミュージシャンやキュレーターやアーティストがいるのに、自分だけ晒さないでいるのも、かつては自分は裏方だしというスタンスでもあったんですが、なんかそれがときにズルさにも転じてしまうなという気持ちも芽生えて、インタビュー記事では聞き手といいつ話しまくっているし、みんなのクレジットをできるだけちゃんと出したいと考えているっていう。
 
-そこまでいちいち考えているんですね。
 
考えちゃうんですよね。ディレクターとしての責任の表し方ってなんだろうって。ただ、インタビュー記事に自分が出ているもんだから、「目立ちたいんだと思ってました」と言われたこともあるんですね。で、まあ、まさに、自分を晒さないで済んでいる人からすると、そうも見えるよなと思いつつ苦笑しながら「そういう腹の括り方があるんですよね」みたいな応答をしてました。もうさ、自分もここ数年でやっぱり気持ちの変化というか深化もあるし、それは、みんなそうだと思うんですよ。で、人とプロジェクトと組織と社会の成長が、そうやってシンクロしていくしかないでしょって思います。もう、そのプロセスをオープンにしていくしかないでしょって、最近は思います。
 
 
人とプロジェクトと組織と社会の成長をシンクロ
 
-人とプロジェクトと組織と社会の成長がシンクロ?
 
人の成長が、その社会の成長につながるはずですよね。でも、多分、なんかそういうふうにあんまりなってない。たとえば会社の話でいうと、すでに成長済みの人を入れて会社を拡大していくみたいなことがあるじゃないですか。それはつまり、人の成長と会社の成長がある意味でいうと、切り離されているとも言えるはずで。話を分かりやすくするために極論的に言ってますけど。
 
-はい。
 
一方で、人の成長とその会社の成長がシンクロすることだってありますよね。若いときに、小規模の会社に入って、その人の成長と会社の成長がシンクロしていくという。そういうことは、会社の経営での議論ですけど、都市経営であったり都市文化施策という視点にスライドさせたら、まあ、いろいろとまた見えてくるものがあるはずなんですよね。背負う背合わないとか言ってますけど、基本的には、託し託されるという関係を育んでいかないことにはなんにもならないなって思います。
 
-いつも熱いですね。
 
自分でもたまに自分がめんどくさくなります。
 
 
みんなのための場所で自分でいるということ
 
晒す晒さないといったことを繰り返し言ってますけど、ネタ元というかリファレンスがあってですね。自分自身を晒すことが、主人公でいることだよねっていう、その勇気を持つことが大事だよねっていう一説があって。なんか、それを露悪的にではなくやっていくことの芸風というかスキルというか仕組みが求められているような気がするんですけど、それはともかくとして、ハンナ・アレントの「人間の条件」という書籍で、主人公性について語っているところが良いので、長いんですが紹介させてください。
 
「物語が暴露する主人公(ヒーロー)は必ずしも英雄的(ヒロイック)な特質をもつ必要はない。「ヒーロー」という言葉の起源はホメロスにあり、それは、もともと、トロイ戦争に参加し、物語の対象となった自由人一人一人に与えられた名称にすぎない。実際、今日、英雄に欠くことのできない特質と考えられている勇気という意味は、ともかくみずから進んで活動し、語り、自身を世界の中に挿入し、自分の物語を始めるという自発性の中に、すでに現れている。そして、この勇気は、必ずしも結果を自ら進んで引き受けるという自発性と結びついているものではないし、それが不可欠なものでさえない。自分の私的な隠れ場所を去って、自分がだれであるかを示し、自分自身を暴露し、身を曝す。勇気は、いや大胆ささえ、このような行為の中にすでに現れているのである。この本来の意味の勇気がなかったら、活動と言論は不可能であり、したがってギリシア人の理論からいえば、自由もまったく不可能であろう。だから、たまたま「主人公」が臆病者であったとしても、この本来の勇気は同じ程度であり、いやむしろ、それだけいっそう大きなものでさえあろう」
 
-へー。
 
へーって。
 
-えっと、「自分を世界の中に挿入し、自分の物語を始める」って、SSSのキュレーターである阿久根さんが翻訳したイギリスのジャーナリストであるエマ・ウォーレンさんによる「Document Your Culture」の話にもつながっていきますよね。(CINRA「愛する『場所』を記録するのに資格はいらない。英ジャーナリスト、エマ・ウォーレンと翻訳者が語る」を参照)
 
ホント、そうそう。
 
-「自分がだれであるかを示し、自分自身を暴露し、身を曝す」という勇気がないと、「活動も言論も不可能」だって言うのは、分かりそうで分からなそうで分かる感じがあります。
 
ですよねえ。なんかまあ、みんなのための場所が、そうであるためには、そこで自分自身でいる必要があるよねってことで受け止めています。「みんな」ということの中で、だれも自分を投影していないことになると、じゃあ、そのみんなって何なんだ?誰なんだ?ってなるし、「自分」というもののなかに、その「みんな」っていう視点がないと、独善的になってしまいますからね。
 
-なるほど。
 
そういうことを、政治学者の宇野重規は、「<私>時代のデモクラシー」という書籍の末尾ですぱっと、こういっていました。「<私>を排除した<私たち>にはグロテスクなものがありますが、<私たち>のいない<私>は絶望にほかなりません。<私>から<私たち>へ、そのためのデモクラシーへの希望が、いま求められています」って。
 
-なるほど。
 
SSSって、駅直結の広場だったり、渋谷川のほとりだったりという公共性の高いところを舞台にもしているから、そういうことも考えちゃうんですよね。だから、運営のスタイルそのものも、「みんなでどうにかすることの回復」のプロセスとしてとらえています(vol.18「好運」うしろがわトーク内の『みんなでどうにかすることの回復』を参照)。
 
-「マネジメント」という言葉に本来管理という意味はないってやつですよね。
 
そうそう。「管理を強めて誰かを奴隷化しないようにする」「それぞれが主人公でいられるようにする」ということを考えると、結局、デモクラティックなあり方の実践方法を編み出していくということになるんですよね。
 
 
歓迎を表現するという芸術行為
 
-自分を晒すということが露悪的にならないような芸風やスキルって言ってましたけど、それってなんなんですか?
 
自分を晒す勇気を持つということが大事だとして、それさえあればすべてがOKっていう簡単な話でもないのは当然のことで。
 
-それもそうですよね。
 
また登場しちゃうんですけど、ジョン・デューイがそのあたりのことにも触れているんです。たんなるはけ口ではなくって、何かしら歓迎を表明する行為には芸術性が宿るよねみたいなことを言っているんですけど、ミュージシャンやアーティストやお客さんを招き入れる、キュレーターの仕事とも重なるんで、これもちょっと長いんですが、紹介させてください。同じく「芸術と経験」からです。
 
「発散とか、たんなる露出活動は、メディア(媒体)をもっていない。本能的に泣いたり笑ったりすることは、くしゃみやまばたきと同じように、メディアを必要としない。たしかに発散や露出も何らかの通路[=身体活動]をとおしておこる。しかし、はけ口として使用されるこの手段は、ある目的を達成するための手段[=メディア]ではないのである。これに対して、歓迎を<表現する>行為は、ほほ笑み・差しのべる手・明るく上気した顔などをメディアとして使用する。ただし、意識的にそうするのではない。なぜならこうしたメディアは、大切な友に出会ったよろこびを伝達するという目的にすでに有機的に結びついた手段となっているのだから。かつては自然で意味をもたなかった行動は、人間交際をいっそう豊かで上品なものにするための手段に変わっているのである。それはちょうど画家が、頭のなかで描いた経験を表現するさい、絵の具をその手段[=メディア]に変えるのと同じである」
 
-普段の生活のなかに、そういう芸術的な瞬間ってたくさんあるよねってことですか。
 
だし、音楽家の方々も客席でお客さんがノッてくれている感じがあると、やりやすいって言うじゃないですか。ライブという時間は、演じ手と聞き手の共犯関係のような相互行為でできあがるものという側面もありますよね。その意味では、LiveやDjで奏でられるものを受け止めながら、そういうノリを生んでいるお客さんの側にも芸術性を感じるよねっていう話になっていきますよね。
 
-なるほど。その感覚は確かにあります。
 
ノリって、なにも騒ぐことだけでなく、全身全霊で音に心を傾けるというという静かな営みである場合もあるんですけど、やっぱりそういうのってお互いに伝わっちゃうもんなんですよね。
 
-それもわかるきがします。
 
 
生きるということと働くということ
 
-今回で何か印象的なことはありましたか?
 
いつもたくさんあり過ぎて、具体的に一個ずつ上げていくときりが無いんですよね。だから、抽象的ではありますけど、ここまでの話は全部アンサーソングのような気持ちです。でもやっぱり、それぞれが生きてきた時間が顔をのぞかせる瞬間というものには、いつも心が動きます。
 
-生きてきた時間が顔をのぞかせる。
 
オオルタイチさんが最近米作りに励んでいて、客席に米作りをしている人がいたら情報交換しませんか?って投げかけていたり、コロナ禍の状況だったり、農業に向き合ったりするなかで、音楽への向き合い方も変わったみたいな話をされていたり、NakamuraEmiさんがキュレーターの沖メイさんと、お互いの悩みを分かち合う関係で辛いことがあると連絡を取り合ってたみたいなMCをされてて、それを客席で聞くメイさんが人知れず涙を流したり。
 
-演奏はもちろんそうなんですけど、MCも何かこう特別なものがありましたね。
 
4階で出店をしてくれていた即興人形劇の工藤夏海さんが、テニスコーツさんのライブで急遽登場してくれたり。
 
-子どもたちも参加してて、とても良い雰囲気でした。
 
なんか尊かったですねよね。そういう奇跡みたいな瞬間って、それが生まれることを必ず約束されたものにはできないというか、そういう契約みたいなことにしちゃうと、失われてしまう何かでもあると思っているんですね。で、一方で、そういうことが生まれる確率論のようなものをできるだけあげていくようなことを人知れず丁寧にやるみたいな働きもあって。
 
-人知れず丁寧にやること。
 
ああ、なんと言うか、たとえば、工藤夏海さんとテニスコーツさんの関係性を知っていたり、その関係がSSSとつながるような道筋をつくったりということなんですけど、それって要するに、それまでにそれぞれが生きてきた時間というものに対してのリスペクトがあるかどうかっていうことなんですよね。生きてきた時間と言うか、生きられた時間というか。
 
-生きられた時間。それって、特別なことって、それぞれの普段の暮らしを持ち寄ることでしか生まれないはずっていう話とつながっていきますか?(vol.16「「からだ、くつろぎうららかうれしい」」レポート内の『「普段からやってることを持ち寄って生まれる特別」っていいよね』を参照)
 
まさに、そういうことですね。SSSのキュレーターの宮﨑くんなんかは膨大なリファレンスのなかで、キュレーションをしているわけですけど、それが、その尊い特別な偶然みたいなものを裏打ちしている。で、その膨大なリファレンスは、普段から時間と気持ちを注いで生きていないと担保されないんですよ。そういえば、SSSを一緒に取り組んでいる丹野さんと、渋谷キャストと言う複合施設の7周年祭を手掛けたんですけど。
 
-いきました、いきました。
 
「不揃いの調和」という渋谷キャストがもともともっていた素敵な言葉を、それこそ、みんなでしっかり背負うことがしたくて、「不揃いの調和」という言葉の意味を改めて解釈しなおすために、「頼まれなくたってやっちゃうことを祝う」というタイトルの冊子をつくったんですが、そのなかで、編集者の若林恵さんとの対談が収録されてて、題して「発注を考える 未来の奴隷にならないために」なんですが。(CINRA「『発注』から日本社会を考える──若林恵×tofubeats対談。渋谷キャスト7周年祭をレポート」を参照)
 
-読みました、読みました。
 
その対談の最後は、「仕事というものが、自分の『人生の時間』と切れちゃっているんですよね。そんな所で経済なんか発展するわけないですよね」という若林さんの言葉で締められています。
 
-ああ。
 
そのことは結構ずっと考えていて、どうにかして、それぞれの人生というものと、仕事というものが切れてしまわないようなプロジェクトのありかたってないだろうかって。
 
-最近、少しずつそのことが分かってきたような感じはあります。
 
ねえ。自分たちが、仕事としてて良かった、生きてて良かったって思える状況を少しずつでもつくっていかないと、都市も社会も良くなるはずがないじゃないですか。
 
 
コンテンツがプラットフォームを突き動かす
 
-今回のふりかえりトーク、長くないですか?
 
ねえ。長いですよね。言いたいことがたくさんあるというのもあるんですけど、SSSをフィルムカメラで撮影してくれている立山くんの写真が素敵で、たくさん文章とパラグラフがあった方が、その写真をたくさんつかえるなって。
 
-え、それが理由ですか?
 
そう。誰かの頑張りって言うとなんかちょっと違う気もしますが、誰かの良い仕事に突き動かされるように、自分も頑張れるっていうことが普通にあるじゃないですか。それって、普通の話であるべきなんだけど、世の中がそうなってない気もします。SSSでは、実行委員会のなかが、そうやって突き動かされ合う感じがありますよね。
 
-あります。
 
で、どんどんはみ出ていくんですよ。言ってしまえば、客観的に考えても、どう考えても、コンテンツとプラットフォームがあってない。一つの記事が一万字の文章を掲載するようなwebサイトではないし、今、それを分割してInstagramでも掲載してますけど、もう明らかにメディアプラットフォームとコンテンツが合ってないんですよね。
 
-なはははは。
 
かといって、じゃあInstagramに最適なコンテンツにしようっていう判断をすべきかというと、もちろんそういう工夫はしていきたいんだけど、それだけでもないと思ってて、基本的には表現の主導権をプラットフォームに握られたくないんですよ。
 
-というのは?
 
同じようなことを都市にあてはめるんですけど、たとえば音楽と都市というものは重要なテーマだとしても、広場などの都市空間で良質な音楽体験をつくっていけるか?ということを立ち止まって考えると、現状は、環境面で必ずしも万全ではないわけです。音量、時間帯、スピーカー等の機材の保管場所、音楽家やイベンターや近隣の方々との関係性の構築など、考えていかないといけないことは山積みです。
 
-それはそうですね。
 
でしょ。だから、そういった現状の都市空間というプラットフォームに、公的な形で表現を合わせようとすると、どうしても萎縮するものになってしまう側面があるんですよね。むしろ、コンテンツの側から、プラットフォームを突き動かしていくようなことがしたいんですよね。
 
-東急の丹野さんは、そういう試行錯誤に寛容ですよね。
 
ありがたいですよね。寛容というか、むしろ一番実験精神に溢れているという側面があって楽しんですけども、その場所の価値を向上させようとするならば、そういう試行錯誤を重ねていくしか道がないよねってことですよね。
 
 
希望を公正に分かち合う都市
 
SSSって、「良い都市とは何か?」という問いを考え続け、応え続けるみたいな意志があるわけですけど、パリのポンピドゥー・センターで知られている建築家のリチャード・ロジャースの「都市 この小さな惑星の」という書籍を読んでいたら、サステナブルな都市の定義にグッときたんで、最後に紹介させてください。
 
-サステナブルな都市。
 
持続可能性みたいなことって、よく言われますけど、なにもいわゆる自然環境のことだけの話にとどまることじゃないって思ってて、その意味でも参考になりますし、「希望を公正に分かち合あう」という表現にもグッときています。
 
「サステナブルな都市とは:
公正な都市。正義・食べ物・いえ・教育・健康・希望を公正に分かち合あい、誰もが行政に参加することができる場所。
美しき都市。芸術・建築・景観が想像力をかきたて魂を揺り動かす場所。
創造的な都市。寛容で前向きな試みが、人のもつすべての力をひきだし、急速な変化にも柔軟な場所。
エコロジカルな都市。エコロジカルな影響を最小にする。景観と建造物の調和がとれ、建築とインフラが安全で十分に有効活用される場所。
ふれあいの都市。公共の場所がコミュニティと人の流れを活性化し、電子的にも、直接的にも情報を交換できる場所。
コンパクトで多核的な都市。いたずらに田園に広がらず、隣近所にまとまりのよいコミュニティがあり、近場でことがたりる場所。
多様な都市。様々な活動の重なりあいが活気とインスピレーションを生み、社会生活をいきいきとさせる場所。」
 
-「魂を揺り動かす場所」ってありますね。
 
ね。
 

 
Shibuya Slow Stream実行委員会
supervise:丹野暁江、白井亜弥 direction:熊井晃史  curation:阿久根聡子、宮﨑岳史、角田テルノ、橋詰大地、沖メイ daily practice:Spiral Club、YUMEGIWA design:somedarappa  film photography:立山大貴 social media management:日比楽那  project management:服部優稀、橋本ゆう
6F Spatial Direction:沖メイ、MOND And PLANTS Production cooperation:GOOD TEMPO acoustics:飯塚晃弘
 
ermhoi with the Attention Please、HHMM feat.田井中圭、NakamuraEmi、Vasola Punte〔あだち麗三郎÷高橋佳輝÷髙野なつみ〕with 山村佑理 curated by 沖メイ/テニスコーツ、新メンバー(Takao+荒井優作)、FATHER、オオルタイチ、工藤夏海、眞弓優子、boy,boy,boy,?、satokai、Daily Practice Books  curated by 宮﨑岳史/Kaoru Inoue (Euphony), shunhor (Euphony), Atsuko Satori (Euphony/ PALM BABYS) curated by 阿久根聡子 (都市はわたしたちのダンスフロア)/Drinkuppers curated by 丹野暁江 /世界食堂、Prank gibier style、Pink田中のspacey kola、RPGとGLOWの「おやすみどころ」curated by 角田テルノ、橋詰大地(わなげぼーぼー)