SSS interview 中村萌、立山大貴「Spiral Club」
SSSは、様々な想いが持ち寄られる場所です。そうでありたいために、実行委員会形式での運営がなされています。このSSS interviewでは、キュレーターを始めとする、そのメンバーとの公開雑談といった形での読み物をお届けします。それは、プロジェクトの奥行きをどのように広げていけるか?という試みでもありますし、もし気になるトピックがありましたらSSSの現場にいるメンバーに是非声をかけてもらいたい!という呼びかけでもあります。ロングインタビューではありますが、是非お読みくださいますと嬉しいです。
目次
渋谷川のビオトープと壮大な自己紹介
-Spiral Clubが渋谷川のほとりでビオトープづくりを始めてから、もう一年が経ちますね。
中:あっと言う間ですね。
-ヤゴを宿したり、関わってくださる方が増えたりと色々な手応えがあったと思うんですけど、今日はそれを振り返る機会にできたらと。
立:色々とありましたね。
-同時に、自己紹介の場にもできたらとも思います。実行委員会のメンバーの人となりを紹介することも大切だなとも思うので。たあ、何を語ったら自己紹介になるのかって、ちょっと立ち止まって考えてみるとわからなくなることがあるんですね。で、とりあえず挨拶だけはしっかりちゃんとするみたいなスタンスが世の中にはある気がしていて。SSSの実行委員会のメンバーって、誰から頼まれたわけでもなく、現場で挨拶をよくしますよね。
中:言われてみれば確かに。
-SSSって、たまに「尖ってますね」「よくわからない」なんて言われたりすることもあるんですが、なんか、こんだけ知らない人同士の挨拶が現場で行き交うんだから、もうそれで良いじゃんとすら思ってしまうんですね。
中・立:あははは。
-でもまあ、自分たち自身が活動を振り返る機会でもありつつ、壮大な自己紹介をする機会にもなったらいいなって。
立:壮大な自己紹介。
中:終わらない自己紹介。
-そうそう。雲を掴むような感じで、良い予感の方に賭けているみたいなところがあるから、むしろ会話を終わらせないで、ずっとああでもないこうでもないって話し合っていることが目指すべき状態のような気もしています。で、ですね。最近も子どもたち向けにビオトープのワークショップもやったじゃないですか。その時に、Spiral Clubって、すごいちゃんと自己紹介として語りかける言葉を持っているんだなって改めて思ったんですね。だから、このインタビュー記事では、まずそれをそのまま紹介する機会になっても良いだろうなって感じたんですけど、それをここで再現してもらうことは可能でしょうか。
中:いいですよ。えっと「Spiral Clubは、環境問題について話すきっかけつくる活動をするオープンコミュニティです。気候変動に向き合ったときに、人間の自然への感謝の気持ちの薄さだったり、自然との距離の遠さっていうところが、その問題を引き起こしていると感じていて、普段はビオトープのプロフェッショナルではないんだけど、みんなと一緒にビオトープをつくっています。都会で自然を感じられるような場所があることによって、自然の重要性だったりとか、自然への感謝の念が湧いてくる。そういうことを目指したいと考えています」って感じですかね。
-ありがとうございます。なんかこれで、後はダラダラとおしゃべりしてても許してもらえそうって思っちゃいます。
都合の良い消費都市であって良いのか?という問題
-人間が引いた境界を飛び越えていくような鳥とかトンボとかを見ると、妙に嬉しい気持ちになるんですけど、やっぱり、東京では、暮らしと自然の間に距離を感じますか。
立:逆に、地元の熊本に帰って1ヶ月滞在するみたいなときに感じます。東京に居ると、まず視界に川が入ってこないっていうところがあって、熊本だと、どこを見ても山があって、川もあって。水とか作物とかがそこから来てるみたいな感覚が自然と身体に刷り込まれていくし、それに生かされているという感覚が普通にある。そういうのはやっぱ東京に居ると忘れちゃう。
-あー、東京では、自分たちの暮らしだったり生命というものが、何によって成り立っているのかが見えないという。
立:作物が育たなくなるとか、海が汚れてしまっているとか、そういうことも見えない。地方に住んでるとそれがもうダイレクトにかなり感じる。それこそ魚も赤潮で死にまくったりしていて、環境の問題が身近だし、実感が伴う。東京だと、雨の振り方がおかしいなっていうのはあるんですけど、そういうところまでは感じづらい。
-あー、都市というものが、エネりギーも食物も人も、周りから吸い上げて成り立っている事実というのはあって、だからこそ、その生産の現場に対して無関心であることの不誠実さはやっぱり感じますけど、ついついその意識が薄れがちという。
中・立:うん、うん、うん。
ビオトープのひらかれ具合と、つながり具合
立:今回、ビオトープをみんなでつくるっていうことを、公道でできるっていうのがすごくいいなと思っていて。たとえば、都市型農園ってビルの屋上でやられていることが多いですけど、それに比べて、もう道にボンとビオトープがあるから、人との出会い方が変わってくるというか、開かれ具合みたいなところが、なんと言うか「みんなの庭」みたいで。
-限定された人のためのものではなく、ということですよね。
立:そう。最初から、街の中でそういうふうに機能したらいいなっていう気持ちがあって、それで進めていったら、水草がボンボン増えてきちゃって。
-夏とかね、もう過剰なまでの自然の恵みというか繁殖力で、水草を通したコミュニケーションも発生していましたよね。それこそ、「みんなの庭」のみんなの輪が広がるというか。
立:最初の頃は、もうボンボン増えていくから捨てちゃったりしてたんですけど、いろんな人の会話のなかで「実はビオトープをやってます」みたいなことが出てきて、じゃあ水草をあげようよってなって。それで、投げかけてみると、実際に欲しいってなってくれて、遊びに行くついでに水草を持っていくということが結構起こってて。
中:インスタにあげたら、「うちもやってる」みたいな人が続々出てきたりとか、そういう輪が広がっていったりとか、もともと知ってる人のそういう知らなかった側面を知れたのも面白い。やっぱり、都市のなかでも自然とか生き物が好きな人がこんなにいるんだなみたいな。
-ビオトープが触媒になって見えてくる人の気持ちというものがやっぱりあるし、そこから生まれる会話や人とのつながりが如実にあるという。
これはグリーンウオッシュなのか、どうなのか
中:えっと、わたしは、環境運動みたいな社会全体の大枠を変えるようなことをしたいから、都市に一個ちっちゃいビオトープをやるのは「グリーンウオッシュ」だと思っていたんですよ。
-グリーンウオッシュね。言い訳というか、環境に優しいというイメージをうわべだけでやっていて、そのある意味「汚い側面」をグリーンのイメージで隠しているというね。
中:はい。「うちの会社は屋上で有機農法の菜園をやってます。だから、環境問題に関心があります」みたなことを言っている裏で、地方で環境破壊をしまくっているようなことなんですけど。だから、半信半疑のまま始めていたんですけど。
-こんな小さな活動でなにが変わるんだろうかっていう疑問ね。
中:そうですね。でも、生き物に自分が接するようになって、ビオトープの世話をすることでこんなに学びがあるのかって。学びって言うのも大げさかもしれないですけど、こんなに生き物がかわいいと思えるんだとか、いろんな変化を見れるんだっていうことは、すごい発見だったって思いました。
-物事の大義名分というか、正しさみたいなものっていうのは、そう簡単な話じゃなくて、これさえやっておけばすべて良しみたいなことってないんですよね。安易な方にいくと、それこそ、グリーンウオッシュとかピンクウォッシュとかにすぐなってしまう。だから、物事の筋を通していかないといけない。その意味でも、感銘を受けていることの一つに、この活動をご一緒している東急の丹野さんがビオトープに棲む生き物の命に対する責任感がものすごいということなんですね。「あのメダカたちにとって、睡蓮鉢型のビオトープは狭すぎやしないか」とか「台風がきたら、あの子たちは大丈夫だろうか」と、気持ちを注いでいる。ドジョウのことを、気がついたら「ドジョウ丸〜〜〜」って名前つけて呼んでるし。で、まあ、その東急さんが理解を示してくれるから、それこそ公道でできているわけですけど。
中:そうですね。
-なので、たとえ小さな取り組みだとしても、そこでとても具体的なことを積み重ねていって、肩書とかも置いておいて、一人の人間として関わり合い、出会うことができる場所っていうのはやっぱり尊い気がします。その人の内側にある生き物への気持ちとかそういうものが、むくむくっと顔を出すというか。
中:確かに。それで言うと、近隣の人とか、毎日あそこを通っている人とかが、すごいビオトープを気にしてくれるじゃないですか。それがあると、わたしめっちゃやりがいを感じるんですけど、それってなんでだろうって考えると、人の内側にあるものが出てるからだなって思ったんです。
-うん。
中:渋谷って、せわしなくて、ぶつかっても気にしないような人がいっぱいいるみたいに思うし、ビオトープを置いている場所も休憩所みたいになってて、疲れた大人がつまらなそうに携帯を眺めているだけの風景になっているんですよ。でも、ビオトープがそこにあることで、それを愛でる気持ち湧き上がって、人間らしい側面が垣間見えるっていうことが、自分は嬉しいのかもしれないと思いました。みんなそういう側面を持ってるんだけど、消費的な都市だからこそ、そういうところがカバーされて出てきづらい。でも生き物とか自然は、そういうカバーを破ってくれるんですよね。
-素に戻れることの価値ってありますね。
自然との関係が豊かになると、ご近所付き合いが始まる
中:あともう一つ、いいですか。
-もちろん、もちろん。もう一つって、中村さんがビオトープをやってて感じる喜びというか手応えの話ですよね。
中:はい。「ビオトープのお世話会」のときに、近所のブラジリアン柔術のジムの方が、ご家族で来てくれたんですけど、お世話が終わったあとに、何回かすれ違った時に「おつかれ〜」みたいな感じで声をかけてくれて、めっちゃローカルなご近所付き合いができたときに、嬉しかった。道を挟んで手を振り合ったり。
-ご近所づきあいの喜び。ビオトープの喜びは多岐に渡るということですよね。
中:そうですね。それで言うと、わたしと立山の喜びは違って、やっぱ立山は自然の変化があると超喜んでいるよね。わたしは、人や人との関係に変化が訪れると、めっちゃ嬉しい。
-立山くんは、この間、水草の花が咲いてめっちゃ喜んでましたよね。
中:それで、すぐに花がしぼんでめっちゃ悲しんでた。
立:うん、そうだね。
-なんか、人と自然との関係が豊かになると、人と人の関係も豊かになるという側面はやっぱりある気がするんですね。
中・立:確かに、それは面白い。
-それで、その場所が好きだから関わりに行くということもあるんだけど、リアルで素直な気持ちとしては、好きになるために関わりに行くという側面がある。
中:はい。あの場所を好きになるためにやっているような感じもあります。
みんなでショックを受けられるようにするという、自治へ向う姿
立:熊本に、「picnic」っていうお店があって。そこの人が去年インスタで「お店の前のイチョウの樹が切られて、悲しか」みたいなのを投稿してたんですよ。そうしたら、もう何十件のコメントも付いていて、みんなショックを受けていたんですね。「うちの前の街路樹も1本切られた」とか、「自治体がなんも言わんで進めてから」みたいな。それに結構なんか感動しちゃって。樹が1本切られることに、これだけみんなショックを受けられるんだって。
-ショックを受けることが可能になっている。なるほど。
立:景色の変化にショックを受けられるっていうことは、それが自分の景色の一つになっているという状態だと思うんですけど、特に都心の中には、みんながそう思える場所がすごい少ないのかもなあって。
中:確かに。
立:そうなったときに、ビオトープがそういう役割を果たしたり、そこから街のあり方が豊かになっていくようになっていけばいいなと思ってて。みんなで場所に関わったり、良いことが起こればお祝いしたり。それこそ会社とかの立場を超えてみんなでやることで、あの場所に愛着を持っていったり、大事な場所って思えるような心が芽生えていったら、そうそう変なことは起こらないと思うんですね。
中:そういうことがいっぱい起きてきたときに、やっとなんかそれこそ自治みたいな、みんなが対等に話し合う土壌みたいなのができるんだと思います。
都市における野性の発揮と、変化の原因になれるということ
中:この間、徳島の神山に、行ってきたんですね。そこは川が本当に豊かで、いっぱい川のスポットがあるんですけど、目つぶって寝転がったときに、東京では聞こえない音がめっちゃ聞こえて。
-音の風景
中:川が流れてて、虫がブーンて飛んでるのがずっと聞こえてて、それが地球の循環みたいなところにすごい頭で結びついたりとか、こんだけ生き物たちがいっぱい地球にはいるんだよねみたいな当たり前のことをすごい思い出したりして。神山に住んでいる友達には1歳ぐらいの子どもがいて、その子が真っ裸でずっと歩き回ってたりとか、川でずっと遊んだりしてて、ワイルドキッズで。こういうふうに何かエネルギーをちゃんと発散できる場所があることの豊かさを、地方ですごい感じたんですね。
-うん。わかります。
中:ビオトープにも子どもたちが来てくれるじゃないですか。渋谷という場所でも、からだの中に眠ってる野性的な部分を少しでも外に出せて、気持ちいいと感じられるようになったらいいなって、このビオトープをやってから考えるようになりました。それこそ都市には諦めてたから、そういう豊かさを得るためには移住することが唯一の方法なんだろうって。
-うん。それもわかります。
中:ビオトープをつくるという自分も予想しなかった機会を得て、そういう場所を自分たちでつくるみたいなことをやり始めたときに、今までそういうふうに考えてこなかったんですけど、ここにどうやって自然を取り戻すかみたいな考え方が頭の中にうっすら出てきました。なんか本当に最近になるまで、ビオトープにあんまり希望を感じてなかったんだけど。
-ほんと正直。
中:花が咲いたりとか生き物が繁殖したりとか、自分にとってわかりやすい変化が訪れてくれたときに、ここでも少しずつ何かが変わっていくんだなとか、生き物が来てくれるんだなって実感が伴ってきたんです。興味ないだろうなって思っていた大人の人たちがお世話に来てくれたりとか、やってみないとわかんなかった変化がいっぱい出てきて。都市にも、小さいけどそういう変化を自分たちでつくれるんだっていう希望みたいのは出てきた。アニミズムを取り戻せる場所になっているかというと、そうではないんですけど。
Spiral Clubのこれから、ビオトープのこれから
中:Spiral Clubって2019年にできて、そのときは、気候変動のことを誰も話してないから「Let's Talk About Environment」というモットーを掲げてたんですけど、そっからもう5、6年とか経って、もう社会のトレンド自体がもう既に変わってて、今では、気候変動について少なからずみんな知ってる。対話は重要だから、オープンミーティングもずっとやりたいけど、それだけじゃなくて、今、Spiral Clubが提供できるものってなんだろうって考えたときに、自然への敬意のようなアニミズムの気持ちを取り戻すみたいなこととか、気候変動はもうやばいから自分たちで知恵とかを共有できるコモンのような場を開きたいなって。
-そうか、それで言うと、ビオトープはまずは実験的にやってみようよということで始まったけど、Spiral Clubのこれからの展望ということとシンクロしている要素もあったということですね。
中:そうですね、確かに。
-それは嬉しく思います。今日、だいぶ話し込んだけど、事前の打ち合わせで少しお話をした海外の事例とかの話は出せなかったからまたこういう機会を持てればと思います。韓国の都心で清流を取り戻した事例とか、都心における自然のあり方というのは、いろんな事例も出てきているから、そういう情報も持ち寄れたら良いですよね。
中・立:またやりたいです。
-ちなみに、ビオトープも、たまたま通り過ぎた人がお世話の会に来てくれたりしていますけど、SSS全体を通して「たまたま出会った人同士でなにかことを起こす」ということの取り組みでもあると考えているんですね。そういう営みを社会に取り戻したいという気持ちもあるんだったなって今日思い出しました。
立:言われてみるとそうですよね。
-ところで、子どものときにミミズをめっちゃ触ってたんですけど、大人になったら少し抵抗感が出てきたんですね。お二人はどうですか。
立:僕も、いまは躊躇するかも。
中:わたしは、むしろ今のほうがいけるかも。子どもの時のほうが、虫とか駄目でした。
-へー、いろいろ不思議。