SSS interview 宮﨑岳史

SSS interview 宮﨑岳史

SSSは、様々な想いが持ち寄られる場所です。そうでありたいために、実行委員会形式での運営がなされています。このSSS interviewでは、キュレーターを始めとする、そのメンバーとの公開雑談といった形での読み物をお届けします。それは、プロジェクトの奥行きをどのように広げていけるか?という試みでもありますし、もし気になるトピックがありましたらSSSの現場にいるメンバーに是非声をかけてもらいたい!という呼びかけでもあります。ロングインタビューではありますが、是非お読みくださいますと嬉しいです。
 

目次

 

大切にすべき社会インフラ
 
-いやー、ほんと毎日暑いですよね、暑すぎる。今、公園の仕事をしているから如実に感じるんですね、日陰というものが、やっぱりみんなで大切にすべき社会インフラなんだなって。
 
そうすね。樹は大事ですよ。
 
-もうさ、ゲリラ豪雨とか雷とかも含めて天候が以前と変わってきちゃったから、屋外イベントのあり方そのものも改めて考えないといけないんですよね。その先には、都市の公共空間のあり方とか、都市そのもののあり方についての議論が待っているんですけど。
 
そうですよ。マジで。下北のボーナストラックでは外でマーケットイベントをよくやってるので、身を持って感じてます。
 
-ミヤジくん、いろんなイベントの企画仕事もしながら、保育園でも働いているでしょ。えっと、「渋谷東しぜんの国こども園」だ。
 
すね。子どもたちと一緒に園から街のなかに出かけていく「まち歩き」をよくするんですけど、こうも暑いとなかなか自由に出歩けなくて…。もう、熱中症警戒アラートや暑さ指数を確認しながらですね。保育園だけじゃなくて、子ども向けのワークショップとかも、夏に屋外でできなくなってきていますよね。
 
-そうなんですよね。公園も、地面が土とかで、木陰があって風が抜けてくれると、それなりに居心地が良いんですけど、逆に言うと、そうじゃないと夏は無理。
 
本当は、街や建物をつくる時に、そういうことを意識できると良いんですけどね。
 
-「風や水の通り道を考えて、街をこうしました」みたいなビジョンがあると結構ぐっときちゃいそうです。
 
そういうの、都市計画における風水ってやつですよね。昔の人はやってたんじゃないですか。
 
-ああ。
 
美学と倫理を更新することで、社会を更新したい
 
-SSSインタビューは、メンバーの壮大な自己紹介という意図もあるんですが、おしゃべりしながら大切にすべき目のつけどころが浮かび上がってくるといいなとは思っていて、えっと、今日は「ミヤジくんの美学と倫理」というキーワードが頭にあります。
 
美学と倫理。
 
-はい。なんと言うか、「みんなそれぞれ」で済まされない問題というものがたくさんあって、たとえば、SSSとして持つべき美学や倫理というものがどういうことか?っていう話って、結構重要だと思っているんですよ。そういうことを、少しずつ言葉にしていくようなことができたらなって。というのも、なにを美しいとするか、そこにどのような分別や道理があるのか、そういうところの感性が更新されることで、人はこの社会を更新してきたように思うんですよね。
 
それはあるかもしれませんね。そういうこと、いつもモヤモヤ考えながら、というか僕は実際に声に出して周りにブツブツつぶやきながら、やってるところはあります。まぁ、だらしない人間でもあるので、徹底できているのかどうかを問われると、どこまで語ることができるんだろうってなっちゃいます。完全にそのとおりになってなくても、やってみていいはず…。
 
-ああ、その逡巡も含みつつおしゃべりできたらと思います。まずは、記事として成立させるためにも、SSSと関連してくるミヤジくんのキャリアについて触れていければと思います。えっと、本名は宮﨑だけど、みんなからミヤジと呼ばれてて、音楽関連のイベントの企画をしてて、みたいな。ただ、CORNER PRINTINGさんがやられているwebメディア「AVE」で、ミヤジくんがいい感じに紹介されているから、正直、まずはみんなにそっちを読んでもらいたい。記事のタイトルが、「偶然はみんな持ってるっしょ?」(https://ave-cornerprinting.com/myz-05302023/)で、最高だなって。
 
あー、出ましたね。
 
-AVEは、なんか、あってくれてよかったなって思わせてくれるメディアで、aboutのメッセージも痺れるんですよね。「おそらく、人々の目にはある種の“だらしのない”メディアとして映ることでしょう」ってあってさ、でもその「だらしなさ」が、「どんな人にだって、当人にも予測できない事象を選択する瞬間が訪れるはずです。そして選択とは、生存と同義なのです」というところの予測できない選択を担保してくれているという。
 
ねえ。
 
-つまり、そういうスタンスというものに、美学と倫理が宿ると言えると思うんだけども、えっと、ミヤジくんは企画まわりのことをし始めたのはいつからでしたっけ?
 
大学生。「CRJ(College Radio Japan)-tokyo」っていうメルマガやフリーペーパーつくったり、ライブイベントをつくったりしてた学生サークルに入って。あとボランティア的なところで、京都の「ボロフェスタ」という音楽フェスだったり、「RESFEST」っていう原宿のラフォーレミュージアムでやっていた実験的なミュージックビデオやショートムービーなどが上映されるイベントだったり。
 
-あー、熱気というか、においとしか言いようのない磁場があったような気がします、そういうところには。
 
そこで出会った人たちのなかには、今では、写真家だったり、文筆家だったり、イベンターだったりになっている人がたくさんいます。
 
-まだ何者でもないときに出会うことができている場って、スゴい大切な気がします。それこそ社会インフラ。
 
うん。ああ、あと「Central East Tokyo(CET)」も、多分、2005年に遊びに行ってて、2006年くらいからインターンやってました。CETの場のデザイン、かなり面白くて。
 
-僕も、客として行っていましたよ。アートやデザインや建築が融合しつつも、コンセプトがちゃんとあって、今じゃユニークベニューなんて言葉もあるけど、東京の東側の、えっここが会場なの?みたいな古いビルとかでねえ。あそこから、あのエリアへのみんなの見方が変わりましたよね。
 
関わりしろのデザインと教育学が重なるところ
 
ボランティアみたいな形で「関わりしろ」をつくっていくというのも結構有効だよなって、その頃から感じていて。「水戸芸術館」でやっている「高校生ウィーク」とかも、気になる場だったな。仲のよい友達から話を聞いていて。高校生のための展覧会無料招待企画として90年代から始まっているんですけど、招待客というよりも運営そのものを担っていくんですよ。
 
-へー。
 
話を聞いてて、良い現場になってるんだなって。なんて言うのかな、そこをきっかけに、アートとか、音楽とか、なにか未知なものに出会って変わっていくっていう場がちゃんとデザインされてるんだろうなって、その場に関わってきた人たちの振る舞いから感じられるというか。そういうところのデザインに興味があるっちゃあるんですよ。
 
-そういうところのデザイン。
 
そもそもCRJだって、大学でも専門学校でも、学生であれば入れるという、雑多な音楽好きなサークルなわけです。素人だけど、気になるミュージシャンの楽曲のレビューを書いて発信したり、イベントをやったりして。まとまりがあるかどうかで言ったら…結構めちゃくちゃ。なのに、参加することによって、なんだかんだ形になったりするわけなんですよね。そういうことに興味があるんですよね。
 
-そういうことって言うところの「そう」の情報量が多いな。
 
えー、敷居がある程度低いから、その場に入りやすい。それで、思わぬ出会いがあったり、ものやイベントを生み出したりする経験を重ねていくみたいな…。大事ですよね。
 
-まさに、そう思います。有形無形を問わずだし、時間軸もかなり広い幅で、デザインということをとらえているんでしょ。環境デザインというか。
 
なんかほら、いろんな場で、それぞれの過ごし方があっていいと思うんです。その場で起きてることと自分が関係しているっていう感覚を、自然に持てたらいいと思うんですよ。きっかけとしての敷居の低いオープンな集まりが、わかりやすかったりわかりにくかったり、自覚的につくられたり偶然生まれたりするように。いろんな物事と自分が関係しているっていう自覚がもっと持ててもいいと思うんですよ。だから、そうなりやすい場ってなんだろうって思う。
 
-それって、なんと言うか、ある種安全圏のような客席から、変わりゆくステージの様子をただ鑑賞しているだけでなくって、その変化の原因に自分たちもなれたり、自分たちも変化しちゃうような、そういう場のあり方っていうことですか。
 
きっと、そうすっね。その場にいる実感が得られる場ですね。
 
-あー、実感ね、確かに。んー、教育学の用語で「正統的周辺参加」っていうのがあるんですね。それがなにかって言うと、学習というものを個人の営みとして考えるのではなくって、ある意味、関係性というかコミュニティの活動として捉えるというものなんです。
 
ほう。
 
-もっと言うと、文化的な実践活動へ参加することが、学びだよねっていうものなんですけど。ここまでの話が、かなりそれでして。だから、まあ学びという営みが、なにも学校という施設のなかだけじゃなくって、社会のいろんなところにあるよねっていう話なんですけども、もう少し踏み込むと、社会の中でそういう導線をどれだけ豊かにしておけるかっていう。
 
うん。いろんな人の関わりしろを用意しておくというのはずっと気にしているところです。
 
セレンディピティおじさんとパーティバラモン
 
日記屋「月日」に入って、ビールを買って飲んでたんですけど。
 
-みやじくんが働いている下北沢の「BONUS TRACK」にあるお店ね。
 
そう。仕事が煮詰まってきたなーって、息抜きに。その時、ちょうど月日に入ろうかどうかみたいな人がお店の前にいたので、「ここ日記屋っすよ」とか話しかけてみて、入って来てくれたんですけど、長野出身で北海道で教育の勉強をしていた、今は学校休んで、隠岐に住んでいるっていう方で。東京の友達に次の日に会うとかで、早めに東京に来てみましたみたいな感じで。そんで、僕も気分転換したかったんで、「Botany」まで歩いていってみたんですよ。その人の出身地だっていう長野の町でこの夏にやってたイベントのことを思い出して聞いてみたら話が通じたみたいなこともあって、流れ的にいいかなって。
 
-Botanyって、「渋谷キャスト7周年祭」で、ミヤジくんが呼んでくれた音楽家の川口貴大さんがやっているクラフトサワーとかソーダとかのお店の。
 
そうそう。嶺川貴子さんの展示もやってるタイミングだったし。日も暮れてきて暗かったけど、Botanyの前に、羽根木公園のプレーパークに寄ってみて。ちょうど道中なので。
 
-広い意味での教育文脈もありますからね、プレーパーク。
 
そうしたら、プレーパークのスタッフさんがまだ残っていて、案内してもらいながら、ちょっとお話させていただいて。新しく作ったすべり台のデザインについてとか、最初は自主保育の活動として、自分たちの子どもたちを自分たちでみるっていうところからスタートしてたんだっていうような話を、その日出会った教育に関心がある人と聞くことになって、あれは面白かったなって、今話ながら思い出しました。そういうことを楽しいと感じるタイプです。
 
-ミヤジくんのこと、「セレンディピティ(予想外の幸せな偶然や出会い)おじさん」って呼ぶ人がいますもんね。
 
今のは、そういう話でしたね。
 
-あらかじめ計画されて用意されたものを、ただ遂行するというわけではなく、なにかが偶然舞い込むようなことも、それがトラブルに近いものだとしても歓迎するみたいなノリがありますよね。
 
なんだか、そういう振る舞いをうまくやっている人たちのことを、ずっと気にしてますね。そういうデザインとか、あり方とか。
 
-ただ放っておいて、そうなるわけじゃないんですよね。
 
なんだろうな、「Nadegata Instant Party」の最初の展示で、阿佐ヶ谷の「とたんギャラリー」に行ったときに、とにかく居心地がよくて場の空気が違うな、指針になるようなムードだなって感じたこととか、鳥取にある「たみ」にわりとよく行くし、さっき話をした水戸芸のこともって、思い出しながら話すと偏るけど。場所と振る舞いのことを気にかけながら過ごしてるのは、ずっとそう。
 
-なんかAVEの記事でも、あらゆるパーティに出現する「パーティバラモン」という紹介のされ方もしていてウケてたんだけど、なんかリファレンスが圧倒的よね。神話を語り継いでいる語り部かよってなる。
 
何に美を見るか
 
-アナキストの大杉栄の言葉で「美は乱調にあり」ってのがありますけど、美を何に見るかっていうのは、やっぱりスタンスが出るよなとは思うんですよ。
 
大杉栄は読んでないですけど。
 
-たとえばの話なんで。
 
いや、でも、強い中心性みたいなものがあるよりも、同時多発的に何かが起こっている感じが良いと感じるんですよ。話すべきは、それがなんで良いのかっていうところですよね。うーん、なんだろうな、安心感とは?居心地とは?みたいな話になってくるんですよね。
 
-あー、安心感か。そう言えば、ミヤジくんの自己紹介的なところと重ねて言うと、「南池袋ミュージック・オルグ」の店長的なポジションだったけど、まさにそういう強い中心性を感じてしまう店長っていう肩書に抵抗があって、という話があったじゃないですか。
 
うん。昔、池袋にただの地下室みたいなスペースがありまして。僕、オーナーじゃないんですけど、「新しく箱やるんだけど、企画とか組める人を探している」っていうことを偶然知って、面白そうだったからちょっとだけ手伝うつもりが、流れで運営することになって。それで、最初は、店長って言わなくてもいいかなって思って、しばらく避けてたこともありました。でも、やっぱりわかりづらいなって思って。
 
-わかりづらい。
 
店長じゃないっていう説明が。
 
-店長じゃないなら、なんなんだって。
 
そう。
 
-それで言ったら、オルグってなんですか?っていうのもね。
 
ここは地下室で、音楽イベントがやれて、予定が空いてる日には録音をしたり、遠くから誰か訪ねてきたら、床で寝たり宿にしたりしてることもあって、地下だからあんまり揺れなかったこともあって、東日本大震災のときは勝手に避難場所みたいにもしていたんですけど、アコースティックなライブもできるけど、スピーカーなども置いているので、そこから音を出すとこともできます。あまり大きいと上のお店に迷惑なので、気をつけて欲しい。お客さんがいっぱい入ると、音が変わったりします。使用料金がかかります。もしお金が貯まったりしたら壊れた椅子とか買いかえたり、そんな風にやってる場所です。ところで、どんなことがやりたいんでしたっけ。なんて言う風に伝えても、とってもわかりづらいんで、1年後には普通にライブハウスの店長ですって言ってました。
 
-ウケる。突然なにを言い始めたのかと思った。それって、机って言っちゃったら、机にしか見えないけど、そうとは決めつけないで、たとえば木の塊みたいに捉えることができたら、机にもなるし、椅子にもなるし、なんなら、まな板にもなるしみたいな感じで、あまり決めつけない方が可能性が広がるよねみたいなことですか。
 
そうなのかな。まあ、自分が企画を全部組んでるみたいな感じじゃなくて、なんか偶然そうなってくっていう感じでやってたってところで。店長っていうのもなって。特に明確な企画審査のとかもやってなかったし、わりと誰でも相談してもらえれば、イベントは企画できたんですよ。外から見たらハードルがあったかもしんないすけど。
 
-外から見たときのハードル。
 
こだわらないっていってるけど、100%なんでもいいってわけではないし、こうして話も長いし…。こだわりがあるって印象が、ハードルになるっていう。
 
-なるほどね。
 
いろんな企画をやっていたし、問合せをしてくれたら、すごい安い箱代を払えば基本的にはやれるっていうことにしていたんですけどね、だから、敷居を本当に下げるっていうのは結構難しい話で。
 
-いやでも、これもスゴい大事な話でさあ、「敷居を低くしつつ、奥行きを深くしたい」というのは、SSSでもそうですが、僕自身がとても大切にしていることですけども、その敷居を低くするということが、こだわりを捨てますっていうことではないですよね。
 
うん、そう。
 
-ましてや、手放しでなんでも良いっていうことでもない。なんか、今の世の中には、「敷居を下げるか、こだわるか、そのどちらか」という謎な二項対立がある気がしてて、なんか素直にどっちもでしょって思ってたんですよね。勝手にどちらかみたいにすんなよって。
 
答えは交換できるようなものではなく、一緒に生み出していくもの
 
僕が働いているボーナストラックとかで言えば、たとえば、もしノリとか思想が合わないにしても、近所の人が横切っているうちに、気になってくれてイベントをやりたいって相談をしてくれたら、いろいろとイベントをやったことがないような人だっとしても、誰かに危害を加えるようなものじゃなければ、やれるような方向で進めていきたいですからね。
 
-うん。
 
えっと、自分の判断だけで、すぐ何かをジャッジするんじゃなくて…、場所があると、なにかが自ずと起こっているので、その流れを意識して影響を受けて、ほんのちょっとだけ広げてみたり、真似したりとか…気まぐれで。
 
-うん。仮に答えというものがあるとしたら、それってなんか物体としてドカッとあって、与えたり与えてもらったり、つまり交換できるようなものでもないと思うんですよね。だから、なんというか一緒につくっていくしかない。そういう営みこそ、社会インフラだと思います。今日は、なんかたまたま日陰というものが古くも新しい社会インフラだ、みたいな話をしたけども、全体を通してそんな話な気がしてきた。そこにおいて、育まれるべき「コモンセンス(社会通念)」って何なの?みたいな。それで言うと、「全部自分でやりましたってわけじゃない」みたいなことをさらりと言ってて、気になったんだけども。
 
え、だって、実際そうだし。
 
-うん、そうなんだけど、「全部自分がやりました」と言いたくなる自我の持ち方もあると思うんですよ。でも、そうじゃないっていうことに、批評性も感じるわけ。はかなくて大切なものほど、やさしく持つでしょ、強く握りしめたら壊れちゃうから。言い換えれば、そういうグリップの仕方に喩えられるようなやさしさがあるということなんだけども。
 
グリップね。もっと力を抜いて手放した方がいいのかなって思う部分もかなりあるけど、できてるかできてないかは置いといて…それはそうかもしんないっすよね。だから、なんだろう、みんな、どこでもなんでもやればいいんですよ。
 
その日に、意味を全部回収する必要はない
 
大体、どこからどこまでがイベントか?なんていう境目ってほんとはないはずだし、これがイベントのコンテンツで、これはイベント違うっていう考え方もよくわかんないし。あと、その日に全部回収する必要がないじゃないですか。
 
-むふふふ。またメモっておきたい言葉だな。
 
あるイベントが、誰かと誰かが出会うきっかけになるかもしれなくて、結果的に出会わなかったとしても、出会うかも知れなかったという場があった時点で、まあいいわけです。ちょっと、いろんなフックをつくっておこうかなってくらい。
 
-長いスパンで考えた時に、どこかのタイミングで、その伏線が回収されることってありえることですよね。だから、まあ、なんというか、そういう連続性でとらえているっていうことでしょ。
 
だし、たとえば、15年後ぐらいに、やってたことが繋がって、なにかがどっかで起こるかもしれないじゃないですか。とにかく日々、いろんなちっちゃいことが、起きたり起こるかもしれなかったりとかしているじゃないですか。
 
-起きたり起こるかもしれなかったりをしている。
 
そういうのの積み重ねでしかなくって。だから、誰と誰が対バンしてお客さんがたくさん入って、だから良かったね、成功だねっていうことだけじゃない話がたくさんあるっていうことを気にしておいてもいいですよね。
 
-うん。その別の語られ方というところを豊かにしていきたいという思いがあります。
 
たとえば世界的な文学賞をとった人がいるとするじゃないですか。それが、その人が子どもの頃の学校の国語授業の先生がスゴい良かったり、地域の図書館の司書さんもがんばっていたりとか、なんだかんだ、そういうことの積み重ねだったりしたとして。そういう仕組みというか体系のようなものをメンテナンスしている人たちには賞は与えられないじゃないですか。
 
-まったくもって、そうですよね。まさに、社会インフラ。面白いです。
 
普通の話ではあるんですけど。
 
-まあ、そうなんですけど、サッカーとか野球も、それこそ世界で活躍する日本人が増えてきているのも、各地に草の根的な豊かな活動があるからですけど、そういうことを、もっとスポーツだけじゃなくていろいろと考えていきたいとは思ってて。で、さ、普通の話のような気もしつつ、そういう議論が少ないなとは思ってて、SSSでそういう会話を重ねていけるのは重要だなって感じています。
 
それはそうすっよね。
 
-次の世代のために森づくりをしようよ、みたいな話ではあるなとは思ってます。というのと、森とか庭とかって、人が整備もしていくけど、なにかが勝手に生えてくるような場でもあるじゃない。それも総じて、いい感じにしていくということでさ。
 
勘が生まれて、それを信じられる場
 
-倫理みたいなことで言うと、「客寄せパンダ」みたいな言葉がありますけど、まずパンダに失礼だし、そういうフレーズそのものが好きじゃないんですね。ミヤジくんからもそういうスタンスを感じるんですけど。
 
うん。それもそうだし、そういうのは好きじゃないっていうことは、つまり、よくわかんないけど行くとか、偶然近くを通ってたから立ち寄るみたいな要素をちゃんとしっかり残しておきたいっていうことなんですよね。
 
-うわ、なるほど。
 
有名な芸能人とか、テレビですごい話題になるみたいな感じで、入口を設定しちゃったり、知名度とかで人を呼んじゃったりすると、それって要素としては結構強い。でも、なんとなく面白そうだなみたいなのって、もうちょっと弱い兆しのようなものだから、それが隠されちゃうんですよね。
 
-ああ。
 
なんだか惹かれるなって感じていたとしても。僕は、本当は、その、なんか面白そうっていう勘とか兆しみたいなものを信じて欲しいし、偶然のようなことが訪れる領域は守っておきたい。
 
-ぐは。勘が生まれて、それを信じられる場。
 
だって、それって大事ですよね。だから、バラバラな人が、バラバラのまま、それぞれの関心とかそれぞれの偶然に基づいているような入口があればいいんですよね。
 
-それぞれの偶然に基づいた入口。うわー。なんかもう、今日はもうこの辺でいいわ。あとはしっかり反芻したい。
 
え。これで記事になります?
 
-ほんとはミヤジくんが働いていた、阿佐ヶ谷「Roji」とか、渋谷の「7th FLOOR」の話も触れたかったけど、なんかまあ、今日はお腹いっぱいすね。
 
現場で起こったことのふりかえりを深めにしてもいいですよね。
 
-あ、それね、したいです。やりましょ。