テスト
SSSは、様々な想いが持ち寄られる場所です。そうでありたいために、実行委員会形式での運営がなされています。このSSS interviewでは、キュレーターを始めとする、そのメンバーとの公開雑談といった形での読み物をお届けします。それは、プロジェクトの奥行きをどのように広げていけるか?という試みでもありますし、もし気になるトピックがありましたらSSSの現場にいるメンバーに是非声をかけてもらいたい!という呼びかけでもあります。ロングインタビューではありますが、是非お読みくださいますと嬉しいです。
目次
わかりづらさが、積極的な意味や意義を帯びるとき
-えっと、中里さんも、YUMEGIWAの活動も謎が多いじゃないですか。自分のことを棚に上げて言うんですけど、わかりづらいってよく言われていますよね。
そうですね…。
-それに上塗りするように、YUMEGIWAがSSSの一環として始めた「渋谷川のヌシに捧げるエナジードリンクの研究開発(DAYDREAM FUNCLUB)」も、ねえ。もう今、こう読み上げてみても、ねえ。
あ、はい。すみません…笑
-いやいや。今回のインタビューでは、その謎を解き明かそうとするよりも、謎を謎のまま楽しめるようにするための素地をつくりたいんですね。わかりづらさというものが、ときに積極的な意味や意義を帯びるとでもいうようなことを。
謎を謎のまま楽しめるって良いですね。
-ちょっと自分の話をしちゃうんですけど、さっきまで地元のプールで泳いでいたんですね。昼間ということもあって、おじいちゃんおばあちゃんがたくさん泳いでて、それに混ざっているわけなんですけど、たまに、クロールでも平泳ぎでも背泳ぎでもバタフライでもない、とにかく見たことのない泳ぎ方をしている人がいるんです。もっと言うと、ただ浮かんでプカプカしている人も。で、その名前のついていない泳ぎ方を目の当たりにしたときに、とても嬉しい気持ちになるというか、別に自分の泳ぎ方をしたって良いはずだよなって思っちゃうんですね。
なるほど。
-その謎な泳ぎって、今ここで話しをしていても説明しづらいし、きっとわかりづらいと思うんですけど、でも確かに泳いでいる。だから、それで良いじゃんと思えるし、それこそが良いじゃんとも思っちゃう。まあ、SSSの実行委員会ってそういう人が多い気がしますが、中里さんの活動もまさにそれって感じがします。
なんか、そういうふうに言ってもらえるのは、すごく嬉しいですね。オリジナルの謎泳ぎをできてるのかどうかはわかんないですけど、見たことがないぞこれはってなるのは、なんだか楽しいことな気がします。そうか、思い返せば、確かに僕は野茂英雄のトルネード投法がめっちゃ好きでした。こんな身体をひねるピッチャーを見たことがないって。
-野茂英雄は日本からメジャーリーグに挑戦することがまだ珍しかった時代のチャレンジャーでしたしねえ。それで、ですね。中里さんって、そもそもは映像作家であって、一番わかりやすいというか通りが良い紹介の仕方って、能年玲奈さん、あ、今はのんさんか、その、のんさんのドキュメンタリー映像をつくった人ということじゃないですか。
ほとんどの方が、きっとその説明だと、はい、わかりますね。
-まあそうですよね。で、仮にそれが入口だとすると、「渋谷川のヌシに捧げるエナジードリンクの研究開発(DAYDREAM FUNCLUB)」というプロジェクトが、一つの出口にあってですね。入口と出口の距離がスゴイ遠いところにある。
あははは。あー、結構、そういうことが多いかもしれないです。昔から絶滅しそうな生き物に興味があるという個人的な共通項はあるんですけど、のんさんみたいなわかりやすいポップアイコンのドキュメンタリーをつくっていたり、専門学校の先生もやっていますし、子どもたちの居場所づくりとかもやっていて。どっちが入口と出口かはわからないですけど、それらが入口だとすると、わかりやすくマイルドなんですけど、出口がエッジ過ぎて、もう入っていったらスゴイところに出ちゃったなみたいな感じがありますね。
-そのあたりも自分と重ねてしまうところもあるし、なんというかSSSもまさにそれと同じようなもので、「低い敷居と深い奥行き」という裏テーマもありますけど、やっぱり奥行きという豊かさは担保していきたいんですよね。
やっぱ、その奥行きがあることに、ときめいたり、わくわくしますよね?わくわくしちゃうじゃないですか。
-うわ、確かに。奥行きって、文字通り奥の方だから目に見えづらいものだけど、本来、みんなそこに反応しているということか。
そんな気がします。
-SSSって、良い都市ってなんだろう?という問いに応えるボキャブラリーを豊かにしていきたいという想いもあるんですが、まさにそこの話に通じるような気もしてきます。
奥行きのところにある何かに、僕たちは想像力を刺激されているんでしょうね。
ドキュメンタリー映像作家がエナジードリンクをつくりはじめる
-SSSとの最初の関わりで言うと、エナジードリンクのポップアップショップの展開でしたよね。だから、まあ、映像作家がエナジードリンク屋として現れたわけですよ。
ふふふ笑
-だから、まあ、俺はもともと知ってましたけど、SSSの関係者や来場者の方からすると、中里さんは多分エナジードリンク屋さんとして認識されているわけ。
そうですよね。
-だとしても、なぜにエナジードリンクなんなんだ、と。
経緯が複雑なんで、説明がめっちゃ難しいんですけど…。北海道の釧路に住むミュージシャンの友人たちがいて、彼らが僕から見て、すごい野性的で、なんかソウルが炸裂しているバイブスで生きていたんで、そのエネルギーが気になっちゃって。そのエネルギーを何かカタチにしたくて、一緒に映画をつくろうって、やってみたんですけど、全然うまくいかなかったんですよ。それこそエネルギーが集まって爆発しちゃったみたいな、変な方向にビームを撃ってしまったみたいな感じになって。そのときに、なにかわからない感覚があるんだってことに気づいて。彼らとは言葉では意思疎通ができるけど、わかりえない感覚とかていうのがある。それによってすれ違いが生まれて、なにかがうまくいかなかったっていう感覚がすごい残ったんです。で、なぜ僕らはすれ違ってしまったんだろう?って思って。その“すれ違い”を自分なりに理解したいと思ったんです。もっとわかりたい、わからなさをって。
-わからなさを、わかりたい。
はい。彼らが立ってるの土地の歴史や文化的な背景や風景とか、もっとそういうものを自分が体感していったら、なんかわかるじゃないかなと思って。彼らには言わず、住んでる地域に通って、その土地の精神性みたいなもの、土地のソウルって言ってもいいのかな?、そういうものにちょっとでも触れられたら、何かがわかるかもって、そういう直感的な仮説というか、問いがあって。それで、リサーチを始めたんです。5年くらいやっていたんですけど、最初は1人だったんすけど、なんかだんだん仲間が増えてって。最終的に30人ぐらいになっていたんですよ、気がついたら。
-一人ではじめて、仲間が集まる。
いろんな人がいて。なんかDJとか料理人とか、教育や都市工学の研究者とか、アートのキュレーターとか。、すごくいろんな知恵とか、専門的ななにかが集まってきて。で、そのリサーチをやっている中で感動したのがのが、アイヌの文化で。何にショックを受けたかっていうと、生きることと、表現やアートってのが分かれていないっていうことで。僕にとっては衝撃だったんすよね。例えば、寒さをしのぐ衣類とかも、ものすごい機能的なんですよ。そりゃ寒い環境で生き延びなきゃいけないから。そこにある技術ってのはイコール命、生きるということなんだけど、すごい機能的なんだけど、同時にものすごく美しくて。
-生きることと表現することと美が全部一緒。
その美しい、造形とか模様とか、それを作ってたのは普通の生活者で、別にアーティストって名乗って職業、仕事としてアーティストとして生きてる人たちではなくて。つまり生き延びる技術っていうのが、ものすごくかっこいい表現になりうるんだって。
-生き延びる技術そのものが表現。
なんでそういう美しさとか、かっこよさがあるのかっていうと、それは生き延びていく過程でいろんな自然と濃厚に交渉というか関わってるという、その関わりの歴史がそこにはまってるということなんですけど。そういった自然との向き合い方とか、関わり方っていうのが多分、今の僕にはない。だから、自然との関わり方とか世界と向き合う態度みたいなものを、もう一回再創造するというか。もちろんアイヌの方々と同じことはやれないけれども、自分たちなりにそれをやってみるってことが大事な気がして。もしかしたらそれが土地の精神性に触れることかもしれないし、すれ違ってしまった彼らと、もう一回一緒にいるための態度をつくることかもしれないと思って。
-一緒にいるための態度をつくること。
それで、そのすれ違ってしまった北海道で暮らす彼らと、なんか気づいたら増えてた仲間たちとで、自分たちなりの儀式をつくろうってことになったんですよ。
-自分たちなりの儀式。エナジードリンクの話にたどり着かないけど、なんかいろんなキーワードがシンクロしてきた。
一瞬で通り過ぎていく人との共同性
-ちなみに、中里さんは、すれ違ってしまったことをわかりたい、そこにあるわからなさをわかりたいというモチベーションがあるとして、仲間の方々はどういう気持ちで集まっていたんですか。
それぞれバラバラだったと思います。きっとそのリサーチとかの活動のどこかに、それぞれの記憶や感情の中にあるなにかの部分にヒットするものがあったと思うんですけど。例えば、DJをやっていた人がいたんですけど、彼は生い立ちや家庭環境が結構壮絶で。借金取りに追いかけられたり、それで学業を中断したりしなくちゃいけなかったり、経済的にものすごく苦しんだみたいなんですね。彼は東京とかの都市に生まれたわけじゃなかったから、いわゆるクラブとかライブハウスとか映画館といったような文化資本があまりない中で育って。だから文化的な資源がないなかで文化っていうものにどう出会っていくのか?とか、そういう文化と出会ったことで人生がどう変わるか?みたいなことに興味があって。その北海道の釧路というエリアでポップカルチャーがどういうふうに機能をしているのかを見たいし考えたいと言っていて。
-おお。ほんとにそんな感じでバラバラなんですね。ここ数年、アートコレクティブという言い方も浸透してきているし、その集団性というか共同性のようなものに注目も与えられてきていますが、とはいえ、そこに強い求心性があるのかないのか、どこまで統一感を求めていくのかみたいなところで、同じコレクティブって言ってもかなり方向性が違うと思うんですよね。中里さんは、人を集めましたという感じではなくって、なんか集まってました的な、ね。もっと言うと、便宜上自分たちのことをアートコレクティブって言うときは言うけど、その呼び名から距離を取ろうともしていますよね。
呼び方は正直どうでもよくて。名乗る必要があるからって感じです。肩書きというか呼称がないとやっぱりよくわからないと言われるので…。だから最近、コレクティブとかそれこそ居場所とかっていうものをつくってくときに、その言葉を自分なりにチューニングしてて。コレクティブのことをシューティングスター・コレクティブって言ってます。
-シューティングスター。
居場所づくりしているスペースのことは、ミュータントスペース笑
-ミュータント。
というのも、人も入れ替わるんですよ。ある時期にすごく関わった人がちょっと距離ができたりとか、その人のライフステージとか、何か大事にしてることとかが変わったときに距離感が変わるというのも良くあることで。けど、それって別にネガティブなことじゃなくて、なんか、メンバーが増えた減ったとか、誰がメンバーなんですか?とかってことにこだわったり、それを整えようとするとすごく、こう、からだがこわばっちゃう。
-こわばっちゃう。
一瞬何かが通り過ぎた、よぎったというか、そういう一瞬何かが明滅したみたいなこととかも含めて、それも含めて、コレクティブだと思ってるんで。だからシューティングスター・コレクティブ。一瞬目の端を横切った鳥の羽ばたきとか、稲妻の光とか、そういうのも全部ひっくるめてのコレクティブなんでって。ミュータントスペースも、もう何回も場所をつくっているんですけど、場所が無くなったり、理不尽に追い出されたりとかしてて、もうすごいなんか、やるせないんですけど、だからこの場所でばっちりやってますとかって言っちゃうと、安定してばっちりやれているかということを問われ始めちゃうんですけど、神出鬼没というか、仮にスペースを持たなくても、なんかすごい小さな隙間に存在するちょっとしたスタンドとかポップアップとかも含めて全部自分たちの居場所として捉えたいって思ってて。だからそういう突然変異みたいなスペースということで、ミュータントスペース。これって、言い訳っちゃ言い訳なんですけど、その言い訳がかっこいいっていうか、言い訳がいつも一番しっくりくるものになってる気がします。
-言い訳がいつもしっくりくる。
最高の感覚を呼び戻すなにかの必要性
-あ、で、えっと、釧路で出会ったミュージシャンや、集まっていたそういうコレクティブの人たちと、自分たちなりの儀式をしたという話しでしたね。
そう。それは釧路の友人たちが教えてくれたんですけど、めちゃくちゃ月が綺麗に見える湖があるよって。そこは、冬になると湖面が凍っちゃうから人が歩けるようになるんですけど、そこで月との関係性を自分たちなりに捉えなおす、月に捧げる儀式というかパーティというか、そういうのをやろうってなったんです。5年ぐらいかけたリサーチの集大成、区切りとして。で、それが、めっちゃ最高で。DJセットを湖の上に持ち込んで、あとはバックミンスター・フラーっていう宇宙と建築のことを同時に考えていたような人がいるんですけど。
-フラードームとかね。
そう、その球体のフラードームを自作で竹でつくっている人が北海道にいて。その人にもリサーチの途中で出会ったんですけど、その人がそのドームを建ててくれたりとか、あとなんかめっちゃ美味しい手作りスープをつくるチームがいたりとかで、それぞれのやり方、生きのびる技術が集まってパーティーをしたんです。
-良さそう。
めっちゃ良くて。そこで僕らは映像も撮ってたんですよ、記録として。それで、後でその映像をみたら、なんかみんなしっくり来なくて。あれ?みたいな、こんなもんだった?みたいになって。あの時、あの場所で感じたソウルや感覚って、こんなもんじゃなかったじゃん、全然駄目駄目って。めっちゃショックを受けてて。でも、あの体験を、あの祈りの感覚を忘れたくない。だから、あの感覚を時々呼び戻したり、呼び覚ますための何かが必要なんじゃないかって。そういうものが、本質的なアーカイブだし記憶の継承なんじゃないか。そうなっていったんです。
-まさに、言い訳がかっこいいです。
で、どういうカタチであのパーティーを残して、自分たちの中に生かしていけるんだろうって話をしてたら、エナジードリンクじゃない?ってなったんです笑
-おお。そこでエナジードリンクにつながるんですね。
儀式とかパーティって、すごくやっぱりフィジカルな体験じゃないですか。その感覚を呼び覚ましたいなと思ったときに、ドリンクってからだに取り入れるものでもあるから、何かそういうダイレクトに入るものでもあるんで。誰もエナジードリンクつくったことはもちろんなかったんですけど、それだ!ってなってつくり始めたんですけど、そっから完成まで3年かかりました笑
-北海道でのリサーチが5年で、そこからエナジードリンクの完成が3年。すごいですね。
でもエナジードリンクが完成したときには、気づいたらそのパーティのときのメンバー全員いなくなってたんですけどね…笑
エナジードリンクの究極の形を目指して
-未経験からエナジードリンクをつくるのって、結構大変そうですよね。
周りの人に、どうしたらいいかなって相談してたんです。うん。そしたら料理研究家の按田優子さんが相談に乗ってくれて。
-え、あの按田餃子の按田さん。スゴい。
「私も子供の頃からそんなエナジードリンクをつくる人になりたいと思っていたの」って。あなたのその夢は私の夢でもあるから応援するわって言ってくれて。ただ、一つ約束してって言われたのが、「そのドリンクは人類の愛をサポートするものにしなさい」って。それがエナジードリンクの究極の形だと思うから、それを目指してほしいって。
-おお。
そこから、それをキーワードにしたエナジードリンクのリサーチが始まっていきました。按田さんに協力してもらえたのはめっちゃ心強くて。一緒にワークショップみたいな感じでドリンクを作る機会もあったんですけど、按田さんから頂いたアドバイスのうち、ドリンクのレシピに対する具体的なアドバイスは10%ぐらいで、あとの90%は恋愛話でした。というのも、実はその時、僕は台湾人の女の子に恋をしてたんです。そのことを桉田さんに話したら「このドリンクのレシピっていうのは、いずれ自然と完成するものだから、急いで食材を集めて作ればいいとかそういうことじゃない」って言われて。それで「きっと君は台湾に行くことになると思うんだけど、そこで大恋愛と大失恋を2回繰り返したら、自ずとこのドリンクは完成するよ」って。
-良すぎる。
一応、北海道の食材とかも使ってドリンクのレシピはつくっていたんですけど、なるほどって思って、桉田さんのお告げのようなその言葉を胸に刻んで台湾に飛びました。台湾では漢方のお店とかいろいろ調べながら路上でエナジードリンクの試作品を売ったりして。、そこでお客さんのいろんな愛にまつわるエピソードを聞いて、その場でドリンクを調合して出すっていうのを繰り返しながらレシピをブラッシュアップしていったんです。
-いろいろグッとくるな。
台湾の漢方屋さんがスゴいなと思ったのが、漢方のいろんな種類の豊富さとか、その豊かさももちろん魅力なんですけど、お店のあり方がすごい良くて、どのお店もコミュニティがあるんです。お店の人とお客さんが30分ぐらい雑談してるんですね。体の調子がどうとかも話すけど、それはほんの一部で、最近見たドラマが面白いとか、子どもが勉強しなくて困っているとか、そういう身の回りのことを話していて。で、その話の最後に、それを受け止めて、だったら今回はこういう調合にしておくねって、漢方薬を出すんですよ。
-うわー。なるほど。
しかも、その雑談が長すぎるから、お店に列ができたりしてお客さんが溜まるんですけど、そうするとその人たち同士でもまた雑談が生まれて。雑談が雑談を呼んで、それがコミュニティになってるんだって。もしかしたら漢方の成分や効能だけじゃなくて、その雑談やコミュニティも同時にからだや心をケアすることに繋がってるんじゃないかって思ったんです。だから、人と話して、その話をしていくことで生まれる時間とか関係性も愛のサポートってことなんじゃないかなと思うようになって。
-スゴい大切な洞察な気がします。確か、キュレーターの池田佳穂さんもエナジードリンクに関わってましたよね。
そうですね。日本に帰ってきて、池田さんとも恋愛話をめちゃくちゃ話していたので、人類の愛のサポートという意味では池田さんにエナジードリンクの相談をしたら間違いないと思って話をしたんです。そうしたら、Lifepatchっていうインドネシアの面白いアーティストのチームが日本に来るんだけど、そこにミクソロジストって呼ばれる、ハーブとかを調合してドリンクを作るスペシャリストがいるので、その人に相談してみたらって言ってくれて、会いに行くことになったんです。僕はその時に大失恋したばっかりだったから調子悪くて行けなかったんですけど、仲間が行ってくれて。YCAM(山口情報芸術センター)のはなれみたいなところで、確か一泊二日だったと思うんですけど、そこでLifepatchのメンバーと一緒にドリンクを調合してつくってみたら完成度がフレーバーや効能がめちゃくちゃ進化して、それを持って帰ってきてくれたんです。
-伝説の連続だな。
自分はハートブレークモードだったんですけど、その進化したドリンクを飲んだら回復して、失恋の傷がそれで癒えて。それでエナジードリンクが完成したなって…笑
-自分も癒されちゃうというね。これ、ほんとSSSでやっている「DAYDREAM FUNCLUB」の話に全く到達しなかったけど、でもなんかスゴい豊かな寄り道ができたと思います。また話しましょ。(ここには書けない恋愛話もたくさん聞けました♡)